SDGSに「誰一人取り残さない」という言葉があります。
IT基本法でも「誰一人取り残さないデジタル化」という言葉があります。
これらの言葉は素晴らしいように思います。
「法の下に平等」という法律の言葉と同じような気持ちにさせてくれる言葉だと思います。
ただ、本当に「誰一人取り残さない」ということが必要なのか?
セキュリティの専門家としては、この点、少し考えてみたくなりました。
セキュリティ対策ではリスク対策やインシデント対応で事象の優先度を決定します。
リスクアセスメントやトリアージといわれる内容です。
なぜなら、何かしらの対応・対策にはリソース(人、物、金)が必要で、限りがあり、全てに対応することは不可能だからです。
国立大学や研究機関のデジタル化研究費がここ数年カットされているというニュースを見ました。
多分、「誰一人取り残さない」に必要なことに使われているのではないかと思います。
一方、アメリカや中国は国立大学や研究機関へのデジタル化研究費を増やしているということです。
その結果が、GAFAやBATTなどのIT巨人に日本が負け続けている今に繋がっているのではないでしょうか。
このままでは、日本は世界のデジタル化の流れについていけなくなり,その内に先進国とも呼ばれなくなるように思います。
また、取り残されない人たちは、本当に取り残されたくないと思っているのか?
生死にかかわる事態なら、そうかもしれませんが、デジタル化について考えると、やりたい人だけやれば、と思っている人も多いのではないでしょうか。
デジタル化は世の中を便利にする とやっている人は思っているかもしれませんが、クリック一つで全てが終わることを誰もが望んでいないかもしれません。
行政の手続きをなんでもかんでもデジタル化でWeb申請にするなどの話が進んでますが、足を運んで、顔を見ながら手続きがしたい高齢者がいるかもしれません。
さらには、セキュリティの専門家の立場でいうと、デジタル化することにより、サイバーセキュリティのリスクに晒されるかもしれません。
そう考えると「誰一人取り残さない」ということが本当に必要なことなのか。少し立ち止まって考えてみてはと、私は思います。
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